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偉業を成し遂げたジョン・クーパー
父チャールズ・クーパーは、キングストン・アポン・テムズ王立特別区のサービトンで、レーシングカーを修繕する小さなガレージを経営。
息子ジョンは15歳で学校を卒業し、まず工具屋の奉公、続いてイギリス空軍の計器担当者として第二次世界大戦に従軍します。
復員後、親子はプライベーターに対してシンプルかつ安価な単座席のレーシングカーを(しばしば軍の余剰品を用いて)製造・販売する仕事を始めます。
彼らの製造した車は非常に良い成果を挙げたためにすぐ需要が増加し、その結果1948年には彼ら自身の会社を設立してさらなる生産に努めることになります。
1950年代初期には、熱意ある英国人レーシングドライバーが皆そろってクーパー製マシンのステアリングを握っているようにさえ見えた。
実際、クーパーのF1マシンは当時の伝説的ドライバーたちによってドライブされていた 、ジャック・ブラバム、スターリング・モス、モーリス・トランティニアン、ブルース・マクラーレンである。
9年間でクーパーのチームはグランプリ16勝を挙げ、1959年と1960年にはブラバムとともに連続ワールドチャンピオンを獲得した。
ミニ・クーパーの誕生
親友のアレック・イシゴニスが設計したオリジナルのクラシックミニの能力を発揮させることに興味を持ったクーパーは、やがてミニのチューニングを手がけるようになり、1961年『ミニクーパー』誕生。
ジョン・クーパーによって1000台限定を条件に生産。ハイチューニングなミニの登場で、若者のハートをとらえた。
848cc/34psから、997cc/55psへパワーアップしたエンジンを積み、最高速度は140kmに達した。
1963年ミニクーパーを更にチューニング・アップ。モーリス・ミニ・クーパーS、オースティン・ミニ・クーパーSの登場。1275cc最高出力(76ps/6000rpm)
モンテカルロ・ラリーで勝利
1964,1965,1967年、伝統のモンテカルロ・ラリーで3回も勝利を飾っている。(本当は4回だが、うち1回は規定違反により失格)
ジョン・クーパーの生前に、クーパーの名はBMWにライセンスされ、新型ミニの上位モデルに付けられることになった。ジョンは息子のマイク・クーパーとともに、ローバーおよびBMWによる新型ミニのデザインチームにおける相談役を務めた。
クーパーはF1の発達期におけるF1チーム代表者の最後の生き残りであり、彼はモータースポーツ技術における英国の優位性を確立した。これは現在も続いている。
こうしたモータースポーツへの功績により、彼は大英帝国勲章(CBE)を授かった。彼は2000年に77歳で死去するまで、ウェスト・サセックスで家族経営するガレージの社長を続けた。
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